昭和49年7月4日 神愛会
初代:秋永先生、あのう昨日から沖縄、方に、行っとるです。それ、帰られんでしょう。暴風圏内に入って。
先生方:はぁー、はぁー
もう暴風の来よるはい、圏内に入ってとる。飛行機が飛ばんけん。あそこは、沖縄は一早くだからね。台風銀座。しかし、たいしたところげなね。やっぱ。鹿児島行った私は行ったことなかもんね。もう、家がこう、へーばり付いた家ばっかりじゃんね。そんかわり。風に対処した様になっとる。
末永勇先生:低気圧が、あのう、一番、こう、発達をしてる付近ですよね。あの、鹿児島から、違う、沖縄からずっとあの辺は。
初代:今日は、山田先生は、あのう、一時の御祈念に、まにあったんですか。末永先生もまにあった。
末永勇先生:はい。まにあった。
山田先生:はい。まにあいました。あれから、久留米からありますけれどもね。三分間ぐらいで、すぐバスが。
初代:しかしこのう、お互い教会の、そのう様々な、ひとつのあのう、行事なんかでも、計画して出来ることでもないし、やはり、書籍なんかが、作るのじゃぁなくて、でけるのでなかりゃにゃいけない。と言われるようにですね、もう全くその通りですよね。
これはうちの、今一時の御祈念なんかが、あのう一時の、夏季修行がちょうど、うんが、開教になってから、それはあのう、若先生があのう、明渡先生ところに行きましたもんね大阪の。
そしてあちらの熱烈な、あのう信心の行って、見てきてですね、それでうちでも、それはそれで。そんで、その、合楽は、合楽の行き方があるのだから。それに、若い人達が、みんなもうその、若人たちは、御祈念しよると、みんな泣き出しよったです。あの時分一生懸命、感じきらんわけです。
そういうものが、ひとつの、ここの夏季修行の特徴になった。これはもう本当にあのう、もう、結局、そういうね、自ずからの、盛り上がりと言うですか、なら、私の、四時の御祈念にしても、若先生の四時の御祈念にしても、そうです。私が一日二日、四時の御祈念が終わって、五時の御祈念もしたんです。
誰にさせようと思ってなかったんですけど。けれども若先生が、どうした風の吹き回しか知らんけれども、なら、買って出てね、五時の御祈念を私がさせて頂く。ならそういう時から、私が五時の御祈念がなくなる、というようにね。大体教会というところのお祭りといったような行事は、もうできるだけ多いがいい、という行き方。私は行き方なんですね。
そりゃもうデパートあたりでも、もうどげな名目をつけてでも良いから、大売出しをせろと言われたね。バーゲンセールというようなもののも。たとえもう言われ、こりゃぁもう、商売人が、そういうあのう、もうこれは、絶対なんですよ。どげん出血大売り出しというてもですね、もう出しさえすりゃーもう儲かるんですから。
だからあのう、金光教の教会でも、やっぱりね、一回でも多くの行事がね、一回でも多くの、それをね、えらい反対する人もあるんですよ。例えばあのう善導寺の教会なんかの場合なんか、いろんな私共がね、熱心に信心しとる時分に、熱心なグループが、グループが、いろんな会を作ってやろう。という時にですね。
あのう総代の大変偉い総代が居ましたから、そういうことすると、二つに割れたり、三つに割れたりするからいけない。とこう言う。それも理ですもんねやっぱり。なら、ここの私の菊栄会なんかが、なんかちょっとこう、エリート意識が強すぎてですね、どうにも、他のもんが寄り付かないようなものが、あるたーあるです。
けれどもそれがね、そういう中に、なんかこう翻然としたね、ひとつのおかげの、例えば、私がうちの総代に文句言うことはないかと、私が言うんですけれども。他所でする総代の御用をうんなら、菊栄会あたりが、全部受け給わってるんですね。御用の面を。
なら、信心の面は私のようなもう、総代ががっとこうその締めくくりをやってるわけですよ。もう日になら十人の総代がおります中に、やっぱり今は一日常時ですから、みんな全部日参します。
そして、朝の御祈念に、参いれない参いれる人が、やっぱり五、六人あります。だから毎朝総代が、教会全体のお取次ぎを願われると、非常に取次者としてから、もう安心ですし心強いです。だからもう総代はこれができれば良いとさえ思うくらいです。そして他でなら教会こういう御用があるけん、総代がせんならん。というて押し付けてさせられる御用を、うんなら菊栄会とか松栄会の方が、買って出ておられる。なら買って出ておる、そういう雰囲気が自ずと、こう生まれてくるわけなんです。
例えば、今度私は思ったことですけれども、今度の大祓式なんかは、もう普通の大祭なみでしたね。参拝もでしたが、お初穂なんかね。それがそのう大祭にお参りできない人が沢山、参っているわけですね。うん自動車なんかを祓うてもらわならんからといったような人たちやらね。バイクの人たちやら。
それで、私今度それを思うた時、痛感したことなんですけれども、この大祓式というのは、私の方では、もう交通交通安全の大祈願。それから悪疫予防、交通安全。この二つがいうならば、大売出しのいうなら、その芯になるわけですね。商売人で言うなら。 そしてあの頂いたらですねあの、大祓いというのは守るお祭りだ。例えば、交通あのう不意の災難が、かかってきようとする時病気なら、病気悪疫予防、悪疫なら悪疫、また自動車交通事故なんかでもね、かかってきよろ。それおね、「守護するお祭りだ。」ね。
そうすっと、あのう夏の祈願祭ね、八月十六日の祈願祭は、なら今度は「攻めるお祭りだ。」。この守ると攻めるができるわけ。だからあのうはっきりしてるわけなんです。そのへんは。
私それ気が付かなかった。それ気付かせて頂いてから、はぁ、素晴らしいなぁ。それで、やっぱり守る方の信心も、本気でせんならん。攻める方の信心も一生懸命せんならんなぁ、ということになってくるわけで。
そすっとあらりゃぁうちは、間違、七月と八月を間違えて、八月の十六日になったんじゃあなぁ。大体どこでん七月にしてしまうんです。ところがほら祈願祭という、大きなお祭りが、六月の三十日にあるでしょう。それまでは、七月にあの祈願祭があって、それが、あの八月だからもう、この大祭は、どこの教会よりも、先駆けてあるわけです合楽は。けれども夏の祈願祭だけは、どこよりも一月遅れるわけなんですね。
そして、今にして思うとですたい、なるほど攻めるお祭りと守るお祭りを別々にせんならんから、祈願が多いっちゅうわけ。もう本当にただ恐れ入ってしまうですね。例えばなら、夏の祈願祭は、あのうどういうことかというと、五穀豊穣、諸事繁盛のお祭りです、夏の祈願祭はね。
だからそれに悪疫予防も、だからもう同じようなことを重ねてですね、だから善導寺あたりでは、もう名前をつけよんなさるけん、御礼のお祭り、下半期の願いのお祭りとか、御礼のお祭りとかいうふうに書いてあるです。
ばってんその大祭なら大祭は、御礼のお祭りでしよんならね、そんならお礼の、どこまでも、あのう大祓式、今まで言いよった大祓式という、祈願祭はどこまでも、この守る大祭。
なら八月の十六日という、夏の大祈願祭というのは、どこまでも悪疫予防、諸事大繁盛のおかげを祈る。こうだから、攻めていくお祭り。だから、攻める力、守る力を頂くためにも、しゃっちこの六月三十日の大祓いも一生懸命せにゃならん、今度は攻めることも一生懸命、力を入れなければならくなってくる。信者がね。
これがですね、だぶってなさい。みょうなごとなるですよ。諸事繁盛、悪疫予防なんって、一緒にやりよったらね。ところが私、あのう今度小倉から案内を受けたのが、あのう、五穀豊穣じゃない、五穀豊作じゃんのう。「五穀豊作、諸事繁盛の夏の祈願祭」とあるです。
はぁやっぱこげん、目の粗いことじゃぁいけないと、私思うたんです。そして何気なし、ちょっと開けたらね、去年のちょうど八月、十六日の大祭のほうがでとるんです。それはやっぱもう、去年からそげんしとるですね。諸事繁盛と悪疫予防です。あのう、去年、見て御覧なさい。
ただなら豊穣が、豊作が豊穣になっとるです。これは豊穣の方がいいようですね、やっぱし。祝詞言葉にしてもね、五穀豊作じゃろう読みにくい。やっぱ五穀豊穣のほうがいい。だからどこまでも、五穀豊穣、諸事繁盛、諸事大繁盛というものを願わんもんは、おらんですからね。だからどうでもこのお祭りに、力を入れなきゃならない。なってる。そん時になったらね。
なら大祓式も、そういう銘打っておることが守る。どこまでもその不意の災難が起こる、あのう、除けられるようにね、いうならば、「悪疫予防のおかげが頂けるように。」というお祭りですけん、もうそのお祭りの性格というものが、はっきりしてくる。御用なことなんかでも、そんならここの冬の祈願、あのう信行でも夏の信行でも、自ずと、その性格が同じ信行でも違ってくる。
冬の信行は朝早うから、あのような信行。すっとあげな夏の炎天を参ってというような意味のあってね、その夏の信行がとりわけ若い青年層の人達が中心になって、その、ひとつの盛り上がりを必ずするようにね、あのう朝はできなくても、昼はできるわけですから。あのう、そして、明日。
まぁ今日は、なんっち言うか、その壱岐じゃなかった。向こうはなんじゃったのう。壱岐の向こうは。対馬の方から、今日は参ってきとったでしょ。それにあのう、たまがってしまう。あのう雰囲気の中に入ってちょっと入って見てね。
そしてその特に思うことは、あのう壱岐の教会の人達が、みんな参ってきてから、うちあたりは、言うだけでだあれんいっちょん変わらん。参よるもんは参る。参よらんもんは参よらん。
さぁ、夏季の信行が始まるけんで、参ろうか。っちいうごたるもんは、だあれんおらんっちいうわけです。この頃、大祓式なんかは、親教会との祭員でいきますけん、どげんじゃったか。と聞いたら、月次祭なんですよ。っち言うもん。そげな月次祭の方がどげんなっとるかっち、昔とあんまり変わらんとなら。
それでどっちにしてもね、それがその個性っていうものが、はっきりしてないからなんですよ。やはり個性が、はっきりしとけばね、それをおかげ頂かにゃぁおられなくなってくるですよ。人情としてでもね。このお祭りにゃぁ、参っておかなきゃぁ、大祓い受けとなければ。というね。
同時に、守るお祭り、攻めるお祭りって、はっきりしてくるですね。そのへんのあのう、私が頭で工夫してから、こげなふうにしたとじゃぁなくて、自ずと、そうなってくる。ということにね、だからあのう結局、自然の中に溶け込んでいく信心がでけとれば、その修行も、そうして生かしていくという働きをね、目の当たりに合楽では見るわけですね。その自然の働きを生かす、あのうお広前の御比例でなからなければならないということにね。
最近はあのうここでえらい宣伝されて、他所の教会も、そうせにゃぁならんごと、今言われておるのが、高宮教会が、月に一回にされたんですね。お月次祭を。その変わりにもう信者という信者は全部参れ。ということらしいですね。
だからやっぱしお参りが多いらしいです。それ以来そのお初穂の方も、今まで三回も四回もしておる時も、かえって多なったというようなふうに言うて、一生懸命宣伝せにゃぁ、自分とこの行き方をまぁ今、今度本部あたりでも、それを取り上げておるわけなんですよね。
しかもそれを、そのなん第なん日曜日かっといったようなね、そんかわりもう、一人の者も家族の者も、みんなお参りをさせて頂く。私は四回の月次祭で、やっぱりみんなお参りするようなね、神様ですよね。これはもう私は、これだけはあのう、はっきりと個性というものじゃぁなくて、あのう他所と全然違うです。
善導寺あたりは一日は、祈願祭。十日は教祖様のお月次祭。十八日十七日は、善導寺は十七日ですからね、十七日は、四神様のお祭り。すっと二十一日がここは二十三日ですけれども、あそこは、二十一日は、天地金乃神様のお月次祭だとされてある。
だからその祈る時も、ちゃんと今日は四神様のお祭り。今日は教祖様のお祭り。私はこんど月に四回ぐらいは、もう絶対こりゃぁキリスト教に習うわけじゃぁないですけれどもね、もう本当に「御礼の日」だと思うんです。だからもう一緒にして。
もう誰なんのお祭り、かんのお祭り、祈願祭も四神様もない。もうこれだけは、月次祭は、だから御礼のお祭りだから、一家中でみんなが参らんならん。と、こういうふうな、生き方なんですけれどもね。これはだから他所とちょっと反対。なんなんのお祭りと言わない。合楽の月次祭はね。
先日からもううん六月三十日、もう十日ぐらいになりましょうか。例えば、合楽で頂いておる、例えばおかげというのは、うんならそれをなら、信者の数にしても、お参りの数にしても、現在お広前が、お広前いっぱいが、合楽の力なんです。
いうならですから、ところがならそれだけのものを頂いておりながら、あのう今まで今でもやはり、ならお広前一個だけではね、新館のほうも、全部合わせて、二百五十畳なら、二百五十畳のお広前になりますかね、廊下からこう全部、まぁ入れて。
あのご造営の時に、まる少会館造営の、お願いをしたところが、お許しを頂かなかったです。一時断念しとったです。それからまたお願いがあったんです。そん時に私が頂いたことが、あのうお広前のね、「お広前の延長」という意味のことを頂いたから、そのことがあのう、お広前の延長としての、いうならば、西脇殿と東脇殿、東脇殿と西脇殿であると。だから、お広前の延長じゃなからなければ、脇殿とは使えないそうですね。ただ、あのう、まる少会館とかね。
ただの会堂だけでは、西脇殿とか使われない。だからあのういわゆる、西脇殿ということを頂いた。西脇殿ということは、「お広前の延長だ。」という意味なんだね。だからあのうあれだけの、二百五十畳なら、二百五十畳のお広前が大祭こという時にゃぁ、「いっぱいになる。」ということが、私の力に私の受け物に、そういったようなものを頂いたことになる。
それでこれはもう私は思うのですけれども、今お広前の障子前のいっぱいが、朝の御祈念であらなければならにと思うです。月次祭は、あの障子を取って、あのう廊下までいっぱいにならなきゃぁいけないと思います。大祭の場合は、いうならば、西脇殿も、いっぱいにならなければならないと。
だから、これだけを広げるとか、大きく願いを持つとか言うんじゃなくて、この頂いておるものが充分に生かされることを、先ず願わなければならない。これがいうならば、一反なら一反の田んぼしか持たんとに、二反も三反も願いながらね、ほして後は一反、二反は、荒らし放題では、「神様に対してご無礼だ。」
そこでこの一反なら一反、頂いておっとる、充分に肥やし充分に草も取り、充分に種を蒔かせて頂いて、十俵取れるものは、十俵半も取れるくらいな、おかげを頂いた時にです、はじめて二反目に取りかかれるのである。ということを頂いてから、このかたあん、例えば私が一時の御祈念ね、朝の御祈念は、これは絶対のものですからね。
私の場合は。ですから一時の御祈念もまぁ、いうならしだごだの、それから四時の御祈念も、これは私、絶対私が出らな。そうすっと夜の御祈念なんかは、お神酒を頂くでしょう。それでもう覚えん。寝て覚えんとです。してこの頃お神酒を、少しひかえるようにします。
ちょっと例えば、焼酎いっぱいが、足りないというところをですね、アルコールを入れなきゃぁ、やっぱ、覚めるですよ、やっぱ。そんで、八時の御祈念もきっちと出る。「自分の頂いておるところだけは、もう、本気でしっかりやろう。」ということなん。そしたら、もう、あくる日から、朝の御祈念が多うなったですよ、ね。こりゃぁ、しるしを見して下さるだけですよ。同時に、なら、今度の、夏の祈願祭です、ね。それこそ、あそこいっぱいですよ、ね。ですからね、結局、そう、思いをそうしただけでも、だから、これは、しるしですから、これを、信心を、もっと本当のものに、もっともっとなってです、そして、合楽の、うんなら、大祭ともなったら、新館もいっぱい、あふれるようにでけた時、はじめて、次の方には、手を回せばよか。それにね、自分の頂いておるところも、大事に、ようせずにばい、そして、「信者が増えるように」とかね、「もう少しお広前を広なそう」とかね、もう、とんでもない話なんだ。だから、私は、修行生なら、修行生の方達にも、自分が頂いておる、修行なら修行、ね。えー、例えば、なら、せっかく日に二時間なら二時間のご結界奉仕するなら、居眠り半分のごたあることじゃぁなくて、それだけは、立派にやりとげれって、ね。この御用だけは、例え、(? )、なら、こうした、あげん、御理解の収録をやっておる。西岡先生は。あのう、末永先生は、あれもやってる、これもやってる。それをですね、しだごだにせずに、もう、本当に完璧にやる修行をしよる、せろとです、ね。だから、私は、若先生の場合なかは、もう、こりゃぁ、あのう、「『五時の御祈念だけは絶対のものだ。』ということに、ひとつ夫婦で力を入れてくれればいい。」と思うけれども、言いませんって。けれども、この頃から、十五分も遅れる、十分も遅れる、朝の御祈念に。というようなことがあるわけです。もう、私にとったら、もう、身を削られるような思いがするです。こんだけは、本当、ハイ。私だん、四時の御祈念に、三十分間早く出てくるばい。ここ。これだけは。そして、夜は、コンデションを、いよいよですね、ご神前に出る、神様との交流の時に、もう、その場で、交流できるような、これを一生懸命、あの三十分間の間、そりゃぁ、五分か十分前でもいいですよ、ね。はい、「御祈念さえ間に合いさえすりゃぁよか。」という時代もあったけれどもね、もう、四時の御祈念をさせて頂くようになってこのかたというものは、もう、三時半ということに決めてある、ね。そして、その三十分間は、もう、私の、今では、「一日の内での最高の時間だ。一番、私の、うん、『心が整うた』と言う時の時間だ。」と、ね。大晦日の心とか、元日の心とおっしゃるが、「もう、元日の心以上の、元日の心を、三十分間の間に頂いてしまうんだ。」と、いうほどしに良いですね。充実しておる、あー、充実していくことに努めるわけなんです。そいで、えー、自分の頂いておる御用の、いうなら、田んぼが、一反なら一反、二反なら二反ということを、先ず、決めて分かったら、もう、そこを充分に、ひとつ、あのう、耕しもする、肥料もやる、草も取る。そして、(?まじめん)なら、種を置くところにですたいね、例えば、六畳のお広前があんなら、いっつも、六畳の間が、ほんとにぎわっておるようなね、おくり合わせて頂いて、「こりゃぁ、先生、どんこうでけんですばの。」っち、信者たちが言うごとなった時ですね、ね、ちょうど椛目と同じ。毎年、毎年、こう広げていった、ね。道をはさんで、向こうにまで広げていった、ね。だから、自分が広がる。だから、もう、お神様の方なんか考えたこともなかった。いわゆる、(? )時代の神様が、やっぱ、いつも。問題は、だから、広げないけないところが広がる。「助かる方の場が広がれば、私は、それでいい。」というのが、私の、まぁ、考え方ですから。よそんち方は反対ですね。「神様ば、もう、わたしの一生一代のうち、いっぺん、どうでも、檜の香りがプンプンするような、お屋敷にお祭りせんならん。」というて、がんばっておられる。神様は、そげなとに入ろうとも、なんにも思っておられんたいねぇ。なんの、その、そげん言わにゃぁ信者が付いてこんもん。神様を中心に言いよる。実際は、自分を中心じゃん。私は、いかにも自分中心のごたあるです。信者のほうが、広げりゃぁよか。ところが、それが、神様の願いであるならば、それは神様中心じゃあろうもん。だから、自分たちの生き方、思い方というものが、どうでも神様中心にしたね、生き方にならせてもらわなければないらないと思うんですよ。
初代:風が出なくなったねぇ。
(?会話が入る。)
初代:私、神様から、自分の信心のことについてでも、例えば、こうと頂いた、私は、もう、すぐに実行に移らにゃぁ、移らしてもらうです、私は。けれども、みんなが、あのう、えらい、その辺のところを、なおざりにしておるように思うが、どげなふうの、みんな。合楽の先生方。いっつも、こう、きりがつかんです。あなた方のは。いつも、ずっとこう、いつも熱心っち言わぁ、それまでのことだから。こりゃぁ、あなた達、見とって、見よう、(? )、私が、「こう」と決めたら、「こうするばい。」っち言い出したら、私は、それば本当に実行するんです。はい。じゃないと、せっかく神様が教えてくださったからのう、や。なおざりにしよっと、もう、教えて下さらんごとなるですよ、本当。「もう、あれにいくら教えたっちゃぁ同じこつ。」っちいうごとなる。いや、本当ばい。うん。
初代:今朝の御理解は、まだ、頂いておらんでしょ。
みんな:はい
初代:どうですか。御理解を中心にする、おかげの泉を中心にする。どげなふう。どげんがいいですか。なんか話題があったら、どうぞ。若先生は、まだ、帰ってこんとのう。あんた、一緒じゃぁなかったの。今日は、松栄会じゃの、ほんなあ。どうも、松栄会の人たちは、遊び好きの人達が、あそこに二、三人そろうとるもんじゃけん。器用に遊ぶ、そして。松栄会の人たちは。
末永勇先生:私は、あのう、むつやの謝恩祭、おかげを頂きまして、あのう、(?かよこ)と一緒に、(? )
初代:本当、お世話でございました。
末永勇先生:あのう、二、三日いたしましたら、病院の検診に行ったら、レントゲン、撮りましてから、子供がでとる。
初代:笑い声
末永勇先生:本当、おかげ頂いておるですねぇ。あのう、動じてない。して、あのう、郷ノ浦からの(? )に電話いたしましてですね、信者さん、「えっ」っち言うたき、ビックリしてしまってから。
初代:その後、「ボヤァーと、しっとった。」っちいう話しを聞いちから。
(?、どげんごとなるばいのう。 )
だから、もう、かよこさんなぁ、もう、そん、子供の育てるということだけに、一生懸命かかとりゃぁいい。幼稚園の先生と思えば、どうするの。何十人っちあつかちゃろうがっち私が言う。
末永勇先生:そういやぁ、かよこがですね、女の子だったら、「一人くれんか」っち申しましたら、「じゃぁよかろう」っち。
初代:そうばってん、このくらい、そうばってん、黙って治める人が、でけとる人はない。これは、みんなが、評判しとるばい。もう、そりゃぁ、もう、どうか言わにゃぁごたあることばっかり、あったり、そんな人間がおるとです。あそこにゃぁ。そればってん、こればっかりは、悪い顔したことがなかですね。この人ばっかりゃぁ。いつもニコニコしてる。うん。例えば、いわゆる、遊び好きですから、そん、松栄会の連中ですねぇ。さぁ、マージャンをしたり、その、ね、あのう、いろんな遊びをするでしょう。そういう友達、遊び友達が来たちゃぁ、「もう、いっぺんでも、これこそ、悪い顔を、まだ、見たことがない。」っち言うてですねぇ。だから、本当に、「やっぱし、血やなぁ。」と思うてねぇ。うん。たいがいのもんなら、もう、そう、いつも、家の主人が悪かったちゃぁ、友達が、(?させよる)ごと思うてからのう、うん、ようないとどんがくるとです、プンプンしよって、私の家内なんかが、しよったです。それで、もう、もう、飲み物んでんある時にゃぁ、もう、二、三日前から、ちゃんと機嫌をとっとかにゃぁいかん。向こうも、感づいとる。「あーなら、また、誰か来る、飲む、(? )しよるばいなぁ。」と、気付いとるとですよ。こっちが、もう、(? )しとるもんで。もう、そげなこちゃぁ、どげこんでけんですからねぇ。家内の顔色見てから、酒の席は、どんこんいかんですばってん、それもいいです。「もう、こればっかりは、この人が、悪い顔を見たことがない。」っち。うん。一番、関心せん、それが、一番、その、佐田さんの奥さんですたい。だから、もう、「これだけは、私は、どうでん、かよこさんを見習わなならん。」って言いよるですたい。うん。仲人さん。でも、また、とてもまた、他の者じゃぁ、あそこは勤まらんもん。あんまり気が利いたり、バシャバシャ言うとじゃぁですね。よう、天の配剤ちゃぁ、本当、素晴らしいばい。そればってんのう。
末永勇先生:今日の大祓の御祈念の時、(?きんや)が、体ゆすって、御祈念、上げとりますもん。「お育てを頂いて有難いなぁ。」と思わせて頂いたら、涙が出ましてね。
初代:やっぱし、なんですねぇ。親の祈りを、もう、ここまで受けてるですね。やっぱり。教会師弟、それに気付、ここまで受けとると、なら、生かしきらんでおるですね。もう、骨の髄から、金光様の信心が、いうなら、入り込んどることが、良いこと悪いこと、「もう、教会に生まれたばかりに、こんな思いをせんならん。」というところも通ってきとるわけです。教会師弟っちいうのは。それがですねぇ、その、ここまできとるとですから、それが、なんかにキュッと押してやると、誰よりも垢抜けて、こう、でけてくるとです。例えば、その、(?きんや)の場合だって、(? )だってね、かよこさんの場合だって、それ、あのう、言われると思うのです。やっぱ違う。
末永勇先生:うちは六人中、四人まで合楽に、ご神縁を頂きまして。
初代:縁が深いとですよ。やっぱりねぇ。
末永勇先生:後の二人は、時間の問題です。もう、ボヤボヤしよったら、もう、そん、二人が追い越して、もう、子供たちが、また、おかげ頂きます。
初代:けど、末永先生が、せめて、あの、御祈念の間やら、御理解の間、ぐらいは、もう、「居眠らんごと。」っちいう。「あんた、おかげ頂かないかんの。」っち、私、お届けさせて頂いて、今朝は、ズラッと、三人、なかなか頭上げんけんで。あれがね、うすうす、これに聞こえてきよるとですよねぇ。あのう、大祓いなら、大祓いの声やらが。けれども、そのう、だから、自分は眠っとらんごたあるばってん、もう、頭から、下にこう、頭が下がっとるとを見ると、やっぱし眠っておるとるですたいねぇ。頭上げんもん。全然。この人、三人、ズラッと並んどるけん、西岡先生だけが、こうやって。そうきい、あれねぇ、やっぱし。
末永勇先生:西岡先生は、頭が下がるですねぇ。
初代:だから、あんただんが、御祈念をする時にですねぇ、あんたどんが、こげん頭を抱えたり、頭を低くするから、もう、誰でん眠るです。あげんすりゃぁのや。だから、もう絶対、この額を低くせん。私しゃぁ、あの、こう、合掌しとる手とねぇ、あのう額をつけちゃぁならん。額を。ここに、ちゃんと一寸ぐらい空けとかなぁ。きつかけどね。そして、本当に、神様と交流するようになったら、もう、それこそ、もう、目がパッチリ開くけん。開くごたあるおかげば頂かなぁですね。御祈念の座に着いたら眠る、眠ってよかごと思うとる。もう、高橋さんやら重雄さんやらも、やっぱ、そうですもんねぇ。もう、御祈念にゃぁ、親先生のおる間、眠ってよかったもん。もう、安心して眠よった感じです。そりゃぁ、グウグウいびきかいてですねぇ。ありゃぁ、
(? )ちょっと、いびきが止まるらしいのう。あんた、えんりょうしとろ。
○○先生:(? )
末永勇先生:あのう、自分の念力でですねぇ、もう、この時間は、親先生が、「お出ましだから。」という念を強めて、強めておらんと、ちょっと、こう、やばかったら。
初代:うん。それがねぇ、祈りとも、本当、自分のこととしての祈りといったような祈り、切実感というものがね、ないから、なら、先生方が、布教にでも出たら、「親先生も、あげんしよったから。」と思うてね、また、そげんできるようになるだろうと思うんです。思うけれども、やっぱし、それが修行だからなぁ。うん。
あっ、今度のおかげの泉は、あのう、安部先生のところ送ったじゃろうか。あのう、この頃の、(?尾の道)。
○○先生:一時の御祈念の時に、あのう、鳥取教会の、あのう、末永先生たちと同期なんですよね。(? )先生。電話かかってきまして、去年、学院を出る時に、私、約束しとるとですよ。送ってやらなかったんですよ。そのまんま、送ってなかったから、今日、電話で、「送ってくってほしい」っちいうてから、おかげの泉の催促があるんですよ。
初代:どこの教会
○○先生:あのう、鳥取なんです。
初代:鳥取。
○○先生:そうしましたら、あのう、ちょうど、一時の御祈念が始まった。「あら、御祈念が、聞こえますが、あのう、一時の御祈念ですか。」っち言われますから、「いいや、あんた、夏季信行の、ほら、いうなら、全教いっせいの、あのう、あの、今月一日からあるじゃないか。」。「あらぁ、感動の声が聞こえますねぇ。」っち電話を通してですねぇ、ビンビン聞こえるわけですねぇ。「どんくらいぐらい、お見えになっていますか。」っちいいますから、「300人ぐらいですかねぇ。」。(?笑い声で聞こえない)
初代:みんな、そげな感覚ぐらいあるもんなぁ。
○○先生:声が、ちょっいと違うでしょうが。十人分ぐらいの、あのう、声を張り上げて。
初代:あー、電話じゃぁ、ほんに、そうでしょうねぇ。
○○先生:そんで、末永先生が結婚なさった話しをしよりました。そしたら、また、あのう、なんか、一時間後に電話が。折り返し。
初代:あんたは、どうして知っとると。
○○先生:いえ、あのう、(? )やったころですねぇ、あのう、何回かお会いしたことがあるんですよ、私。はい。そしたら、ちょうど、末永先生のところにですねぇ、行っておる時に、あのう、(? )が見えておるじゃぁない。そしたら、いろんな話しからですねぇ。
初代:いや、阿部先生のところには、あのう、送って下さいよ。(? )じゃぁ、やっぱ。とくにあんた、あそこの先生たちには、一部づつ買ってもらわにゃぁ、あんた、そんな、百ぐらい。増刊せんなんごとなる。
※誰かが話しているが分からない。
○○先生:去年の夏、おかげ頂いた(? )になってから、あんた、もう、大改革だそうですねぇ。(? )が。それで、もう、他の人は、せんせんひょうひょう。本部がね。
初代:本当にね、大改革をしなければ。しかも、その、間違いのない大改革しなければね。例えば、うんなら、(?行徳)先生あたりが、あのう、自分の教会になったら、そういうあられがあったですからね。そんで、こういうふうにする、ああいうふうにすると言われることを聞いとってですね、それは、私たちの考えと反対のことを一生懸命、取り組んでおられるですねぇ。そりゃぁ、今の行き方は違います。けれども、それは、よかろうごとして、私が、ようないと言えども、私たちが、あのう、考えと違いますが。今度の教官の大改革もですたいね。それが、本当に、ひとつ間違えのない方へ、間違えのない方へ、だんだん、いっぺんにはできないから、そこにできていくわけでしょうけれどね。あのう、二、三日前、あのう、教団のことをお願いしよったらね、いかだが、ズッーと、こう、あのう、例えば、日田の、筑後川のね、あのう、なに、いかだ流してくるでしょう。もう、急流ですから、岩に付き当たらんばかっしに、あれ、ずっと、向こうに、あれしてやってから来るとです。そういうところを、頂くとですよね。そして、にだい、さんだい、よんだいとならせて頂いておる。現在では、そのいかだがね、こう、よどみに入りこんでしまっているわけです、ね。だから、あのう、こう、みなさん、漂流にでるために、ちょうどこうやって押しよるわけです。ばってん、いかだは、こう、バアーとあるけれども、ちょいと、人間ごと、細か船頭なんです。ですから、力がないから、全然、向こうに着き出しきらんでおるところを頂いた出す。これが、今の金光教の状態であろうし、また、一番身近なことでいうならば、あそこの久留米教会あたりなんかがね。そういう素晴らしい、いかだ流しができよったのが、よどみに入りこんでしまって、それを付き出す力。そりゃぁですね、あのう、初代に還れとかね、先代に還れとか、うん、信心辛抱とは、とかいう、その初代の信心を一生懸命、なら、分かろうと、もう、度々の、毎月の集いに、それを焦点に置いて研究しよるとですよ。そして、その初代の信心に、まだ、行き当たらんでおるですね。なら、教団でもそうです。「金光教の曲がり角だ。」と言われるようになって、もう、どれだけなるかわからんですよね。いわゆる、あのう、「どうとかしなければ、どうとかしなければ。」というて、いわゆる、「全教一新、全教一家」といったような、三代様のお言葉が下がって。そんなら、「全教一新とは」、「全教一家とは」というところの焦点が違っておるわけ、ね。ですからね、あの、それを、最近、社会に布教する、いわゆる金光教といったようなことにね、あのう、もってきているんですけれども、あのう、ひとつも実が上がっていないという事実をですね、みんなの気付いてきたんですよ。だから、「これは、大改革しなければ。」というのが、今度の教官のあり方じゃあないでしょうかねぇ。もうとにかく、布教方針なんかでも、いかにも立派な、ようなけれども、実際の問題に当たって見ると、そこに付きあたり、ここに付き当たりね。全教一家と言いながら、まだまだ、その、本当にもう、人間同士の、暖かいふれあいといったようなものが教団にはないです。うん。うん、もう、それこそ、なんか、あの冷たいですねぇ。あのう、いうならば、権勢し合うとかね。にらみ合うといったようなものすら感じるのですわ、ね。今日は、大体、あのう、久留米行かんとならんとでしょう。あんたたち。親愛会。どっちかいかないかん。この頃は、「参加して頂いて有難うございました。」っち書いてあって、四十分だけ参加して、(? )にならんといかんとです。御結界にあろうがの。はがき。あんたどん、みんな、あんたとこの御結界。ようするに、若先生の場合はですねぇ、あの、ちょうど、その、「四日があるからいけん。」という口実でね、断っわっとたばってん、もう、あんたどんが、何人もおるし、一人ぐらいは、やっぱいかにゃぁいかんと。
末永勇先生:今度、父が申しておりましたけれども、あのう、六月十日の教団独立記念は、おかげを頂きました。そこで、春吉教会の先生と、たまたま一緒。したら、父が、今度、建夫が結婚のおかげを頂いたことを、つぶさに、なんか、急にあいなかの方の、(? )春吉の先生と、その(? )同じ、やっぱ年代。そして、あのう、春吉の先生が、「もう、大坪先生は、もう、おかげを受けられるはずじゃぁ。」と言うて、二、三、例を、こう話し、あのう出されたそうです。なんか、もう、先生が、福岡で御修行時代、えー、もう、本当、あのう、善導寺の親先生と、必ず、御本部参拝をなされるのに、お金があってできるとやったら、誰でもできる。あのう、もう、本当にお金のない時代に、それを通してこられた。「自分は、それを、じっと見てきた。」っち、「自分は、知っとるとよ。」と。
初代:月に(?五日)だけは、必ず、あそこに行ったんですが。五日は、あそこの信徒会なんです。あそこだけの。そんでね、みなさん、待っとってくださって。
末永勇先生:「神徳を受けられるはず。おかげを受けられるはずや。」と言うて、その、語っておられる。なんか、そんなふうに聞いたことがあるんですけれど。そして、もうひとつはですね、たまたま、福岡の、あのう、先生の弟の先生が、あのう、足が悪るござる。(? )先生。
※テープが変わる
末永勇先生:そんで、そのう、片一方の靴、(?かたかたの、かたいっぽうの)、ちょうど足に合う靴が、どっかの店な、大体、その、売っておるはずがないわけですね、靴が。そしたら、たまたまですね、その片一方だけ店に出ておったそうです。そしたら、その店の主人に、「こん靴ば見せてくださらんか。」と、その聞いたら、「はぁ、もう、いいどころじゃなか。」と、その片一方の靴を買うてくれるとじゃろう。「どうして、その片一方、その店に置いておるんか。」とお聞きになったら、その、誰か、その、修学旅行かなんかの、アーと店に、こう買いに入り、(? )。(? )、片一方、店に落として逃げた。「だから、しょうがないから置いとるんじゃ。」と言うて。
初代:そりゃぁ、立派な靴ですもんね、それが。だから、そん時、私が思うたことは、
「こりゃぁ、こん靴は合う」と思うたですね。ちょうど、駅前の、あの、(くぶつ商事)ですよ。それがね、あのう、吉木先生から、それを、依頼を受けた、お父様の方からね。あのう、そうしてみる、呉服屋の、「(?探させて頂きましょう。」っち言うてから、ことすがって、したら、その日のうちに、その、あそこに、陳列に、立派な靴が、片一方だけがある。聞いたら、その片一方だけ取られちゃるとです。それで、もうお金は、「いらん」と言うほど安い値段で、ね、大変、喜ばれましたです。そんで、そういう時に、その思うことが、あのう、もう、こりゃぁ、もう、(? )で、「これは合う。」と思うのですね。そんで、履かれたら、ちゃんとあつらえたごと立派。ああ合った。うん。
末永勇先生:もう、二十年も昔。
初代:もう、二十七、八年になりますね。
末永勇先生:もう終戦の
初代:私、まだ、あちらで商売しておる時分でした。
末永勇先生:大変、私、はじめて、先生が、そういうことを、はじめて聞かせていただき、感動しました。
初代:うん、それはね、あのう(?失敗)のはずなのにですね、やっぱり、薬院あたりやら、たとえ、福岡に、もう全然、出らなくなったでしょう。だから、そういう、「あれだけ福岡でお世話になって。」というようなものもあったんじゃぁないでしょうか。あのう、けれども、そのう、なんですか、私が行きよる時分には、あちらのお子さんたちは、まだこんな時分でしたから、今、あのう、何、田川の方に養子に行ちゃるでしょうが。
○○先生:はい。(?岡先生)
初代:あちらが、甘木で修行の時分やら、そこに、私が一緒に、そんに、たまたま、一緒やったですたい。あのう、「学院に入る。」と言うて、あのう試験を受けに行った時。
末永勇先生:ああ、あの(?久保山先生)の(?親戚)っちいうてから
初代:それで、あのう、それから、の、いろいろ(?さし入れ)をしたりね、それから、こっち、甘木に、修行に来た時分なんかも、その人達が、あちらへ、甘木に行く時なんかは、必ず、なんか、洋酒の一本も、託けたりしよりましたたい。だから、ほんなこついうならば、合うたならば、「先生どうも。」というちから、御礼のう、ぐらい受けなならん感じですけれどもね、いつも、知らんふりしてあるとです。久留米でいつも合うわけですよ。御大祭の時に。いわゆる、なんか、こっちがものを言おうと、「おおっ」というても、ほん、すぐそこに座られても、ものを言われん雰囲気でしたからね。けれども、結局、そこに、「はよう、分からせよう」とか、「どうしたことじゃろか」じゃなくて、ご都合でね、やっぱ。本当のことば、そして、なら、昔の私の信心ぶりというのを、知ってありますからね。あそこの信者ですよ。私が、ちょうどお参りしておる時に、あのう、石橋さんという人が参ってきて、もう、泣きついてきたわけです。えー、立派なお家に住んでおられたんですけれども、もう、家ば取られて、「今晩からが、親子七人の者が居所がない。今晩、行く所がない。」っちいゆわけ。それで、私が、修行の、いよいよ、たけなわになる寸前の時分でしたから、いうなら、私が、あそこは、やっぱ、あの、畳みにするなら、十畳のぐらい広いしですし、押入れも付とう、炊事場も付いてるから、そのう、小屋のようにはあったけれど、あー、もう、雨漏りなんかは絶対にしない、風が吹いたから、ビクともする家ではないわけです。低い、あのう、あのう、ね、(?焼けた板)を何枚も合わせて作った家ですから。だから、もう、涙流して喜んで、その晩から、一家、七人で見えて、そして、私たちが、あのう、物置に使っておった四畳半の畳みもない、いわゆる(?トタン)、ね、それから、それを、そんなら、私、すぐ、(?ていけい)したです。私、後ろから聞きよったもんですから、お届けしんなさりよんとっおね。「もう、今夜、寝るところがない。」っち言ってから。まぁ、その時、非常に、ある時ね、「石橋さん、」、(? )時代に、なんかですね、なんか亡くなられたそうですけど。その後、大変、おかげを頂いて、なんか、運送、石橋運送業かね、運送業、初められて。そいういうことも、もう、普通ではできないことをね、ああ、いつも見ておられましたですね。で、あそこ行って、いつも、ああ、今、今月、もう、私は、善導寺、十日の日には、必ず帰らにゃぁならん。「いつ帰る。財布出しとってからね、これいくら、小銭は入らなければ帰られんとじゃから。」っち言うて、いつも空の財布を見せながらね、あんなんしよったんですよ。あっちは、ご長男は、亡くなられたでしょう。
末永勇先生:ええっと、今、あのう、なんか市役所かなんか勤めてなさいませんでしょうか。二番目が、(?聞こえない)
初代:そこで(? )先生、最近の御理解を頂かれて、なんか、特に残っておるものをね、先生方に、なんか、残っておるところだけでも。
櫻井先生:六月の、まあ、半ば過ぎから、今までの御理解を頂いて、こう、なんか信心を、本当、信心を充実させることのために、いよいよ、また、その、この合楽という、この極楽の世界に、実現することのためにも、あのう、いわゆる信心の、その、まぁ、確信なものというか、いよいよ、その本当のものに成すことのために、天地書附の、あの、御理解の、あのう、(? )、次々と、このう、毎日毎日が、「これは、これは」という、そんな、そんな感じの、(? )、天地書附の、あのう、月、火、水、木、金、土という、あれを、あの御理解、そして、それに、ひとつ、このう、「馬鹿と阿呆」、これひとつで、総てがおかげとなり、お徳となるという、一生、これを、このことで、接していけば、もう、もう、「そのために、あらゆる道の教えが、その、み教えを頂くことだ。」。そのことを頂いて、そう、こう、み教え頂いて、その次から、こう、御理解を次々に、馬鹿と阿呆になることのために御理解を頂き、また、実際、起きてくることが、やはり馬鹿と阿呆にならなならんような働きが、こう、日々、起きてまいります。熱心なことになってこないか、あのう、御祈念前に、ちょっとバス通りの方に、ちょっと枯れ葉が落ちておりましたが、もう、お掃除をさせて頂きよりましたんですけれども、もう、神様、その、ゴミの中からですね、あのう、なんですかね、蚊取り線香が、しかも、それが、バラバラに、こげておるんですよ。はぁ、こげとったら、(? )、こうなっとる。ほんに、これは、折ってはならない。して、完全に、こうなって、はじめて左巻きになって、あれが、ちょっと折れた、折れたら、もう、それこそ、こう、もう半分、巻きにはならないですよね。そんで、「バラバラになって、途中で折れないように。」っち、なんか、言われておるよう感じがするんですよ。そして、その横にはですね、マッチのような空があるんですよ。うんと、その線香は、結局、道端に落ちてるんですよ。火が付いてせんからね、だから、その、一心に火を付けるようにと、こう、わざと側にマッチを置いてあるんですね。そのマッチの、そのレッテルを頂いたら、(?)ですね、「あすなろ」って書いてある。「あすなろ」、「あすなろ」、「明日なろう」。明日なろ、今、ならなきゃ。どっち、そこで、今、はっきり分からんとですけれどね。そんなふうに、こう、お知らせを頂いて、(? )を、フッと、こう、何の気なしにフッと、こう見た、そんなふうに、こう、見させて下さる、こう、「これは、大事なことだ。」、非常に思え、その、「燃やしていかないけない」と、正に、こう、消えやすくて、折れやすな私の、その、そういう信心を、まぁ、そんなふうに、こう、(? )させていくこと。教えを本当に、こう「頂こう」という気になると、「自然の働きの中に、ちょっとした、その事の中にも、大変な働きがあっておるなぁ。」という、それが、もう、強く強く、最近は思う。まぁ、見ても分からなかったけれども、それも、本当、感じ方が、強くなってまいりましてですね。前の日の、御理解を頂いたら、なんか、こう、(? )という感じの。ひとつ不思議なものを、最近、感じたことは、先日、上野先生が、御結界、着いておられたんですけど、ちょうど、私、参らせて頂いたら、あのう、(?熊谷)さんところの、あの白血病で、入院しておられますよね。あの方のお届けの、なんか、ちょうど一緒に、こう並んだ、(? )とおっしゃるんですけれども、特別、御神意がありますか、私には分かりませんけれど、それこそ、この間、(? )と言われましてですね、そして、今日、ちょっと道を歩いておって、フッと、二、三日前、お夢を頂いたことを思い出しです。それが、熊谷さんとですね、一緒に休んでるんです、夜中に。そして休。でて、そして、移り変わって、次の場面がですね、あのう、川が、大きな川なんです。その川が、それこそ、もう、透きっとてるんです。そして、そこに、大きい、いわゆる錦鯉、錦鯉ですか。ものすごい大きな鯉が、沢山いるんです。それで、そしたら、あのう、なんか、白衣を着たですね、お医者さんのような感じがするんです。もう、(? )、とにかく、その鯉を捕まえるか、その川を渡るためか、知りませんけれど、とにかく、その川に入られたんです。そしたら、たちどこに、ちょうど冷蔵庫の霜柱ですね、あんなふうに、(? )先生がですね、もう、霜柱を立てて中に入られないんです。そげな場面でございました。(?妙な)と思うて、それお届け、ちょっと忘れておりましたけれども、今日、フッと道を歩きよりましてね、フッと思い出して、あのう、親先生、御結界、ちょっと、お届けさせてもらっておったんです。
初代:あのう、あのう、「五日しか、もてない。」と言われておるんですね。白血病で。それが、おかげを頂いて、今、血がドンドン出て。それがね、自分で、「お神様を拝みたい」っち言うてから、今度、あのう、(? )にしたのがあったでしょう。(? )の時に。(? )、あれを、お神様に治めてね、そして、それから、ずっと拝みようになってね、もう、とにかく、ずっと、(? )とがしよったつが、それを拝みだす、(? )をせんでようごとなった。それから、血が今度、増え出した。そりゃぁ、ちょっと、もう、(? )ごたある話なんですよ。それに、「もう、五日しかない。」という、それこそ、いわゆる死刑宣告をおくられてからのことですからね。それが、もう、えらいきつくて、食べ物なんかも、もう美味しゅうなってね。それより、「血が増え出した」っちいうのが、また、医者が、また、どうにもこうにもたまらんでおるそうですね。いわゆる、あのう、(? )さんとき、(? )さんとこの、(? )さんが、そげんですたい。やっぱ、白血病で、田主丸中で、あのね、あのう、であのう、有線放送でね、血を頼んでからでも、もらわなんごたある時代があったですよね。そんで、おかげ頂いて、その今日、おかげ頂いて、こりゃぁ、十二歳になるお子さんまで持つ、おかげを頂いたんですからね。今度、(? )さんの場合なんかが、ただ、お医者さんですからね。その、もう、(? )も、ピンとこんけん、えらいはがゆい思いをされるわけですよね、熊谷さん。けれども、その、はがゆい思いしたら、おかげにならんのですから。それをとって、そげな、お取次ぎをさせてもらう私も、はがゆい思いをせんことはないですけれども、はっきりと、その働きを見せて下さとっとを、「もう、最近の医学は進みましたからねぇ。」っち、いうぐらいの言い方ですからねぇ、お医者さんの奥さん、いわゆる、熊谷さんの娘さんがです。それでも、なら、参っては来て、もう、まぁね、拝みはしよんなさあるけれどもです、そういう程度でおかげを受けよる。それでも、やっぱり、あの、おばあちゃんどんがね、信心で、おかげ頂いておられるから。しかし、結局、私どんが、これだけのおかげを、あのう、おかげと思いきらんと、はがゆい思いをしますわねぇ。(?信者に対して)。あれがいかんとねぇ。結局、神様はね、おかげはやり、あのう、やり、おかげは喜んでよりござるとでしょうね。それを、私たちがね、途中でね、あのう、「こげな、おかげを頂いて、どうして分からんか。」っち、なんでん、言うこともなんもいらん。なら、信心も、やっぱ、神様が分からして下さるとじゃから、ね。ただ、こっちは、その、取次ぎだだけのことじゃから。今朝の、私、改めて、あのう、今朝の御理解を、今まで、あんな表現な、今日のような表現で頂くのが、普通一般ですよね、大体は。「今までは、自分が助からずして、人が助かるはずがない。」というような、のを、あらゆる角度から頂いたんですけれども、人が助かることのお手伝いなんだから。(? )先生の、今日は、あのう、ことから、ひとつ頂いたんですけれども、それに、その自分がね、あのう、助けたごと思うて、なんか恩着せがましゅう、まぁ、こう、分からせて(?やんの、残念)、なんが、自分が助けた思いがあるもんだから、その、歯がゆい思いをせな。だから、あのう、はがゆい思いをせんならん時は、神様が思いなさる時であって、例えば、霜柱の立つようなことにもなってくるでしょうなぁ。だから、私たちが、どうのこうのと言うことはいらんとです。もう、淡々として、熱心に、それでいて、おかげは淡々として渡さなにゃぁいかん。これで、おかげの押しつけるような感じがするですよね。取次者が、そこに行くのは、やっぱ難しいことですね。そんために、やっぱ、さっきの一時の御祈念じゃぁなかばってん、思うこともなくなる、ほしい物もなくなりが、いわゆる、「どうでも良い」というね、「信じるゆえに、どうでも良い」という心の状態がね、開けてこなければならんということね。自分の我力、「ここを分からせなきゃぁ、神様に相済まん。」なんてん絶対ない。おかげさえ渡せばそれでよか。もう、とにかく、名実共に助からなければならないし、名実共に助けられる先生にならなきゃぁならんです。もう、これも、もう、棒にも橋にもかからん病人の、吉井の御信者さんで、ずっとお参りをしてきておりましたが、その方が、亡くなられましたらね、亡くなられる前の日に、あのう、私のところに御霊様がお願いに来たんです。あのう、これいっぺん話したでしょうか、ね。私、それから、あくる日のお届けに見えてね、あのう、話しを聞いてから、もう、本当にびっくりしましたがね、私が三十四、五歳っち言うたでしょうが、あん時に。ところが三十四歳と何ヶ月げなたい。亡くなられたとが。それで、もう、それを実感として、あのやっぱ、おばあちゃんが思うておられる。それで、あのう、御霊様の、今度、ことのお願いを、今、また、ね、ありよりますけれども。私もなにか知らんけれど、「亡くなられて残念でしたねぇ。」という感じが、今度ばっかしは、ひとつもしませんでしたね。その、前の御霊様が、全然、あのう、助かっていんですよ、結局はね。だから、「助かりたい。」という願いに来て見えた。ちょうど、その、青いね、青い着物の、こういう感じ、もうちょっと緑の、ちょっと薄い緑の、この洋服を着た。緑色の時は助かってない時ですからね。御霊。青緑を着とった。うん、それで、ちょうど私が洗面所の、あそこんところ、あうん、戸がね、こう横さえ引くとじゃろうが、私とこ、今は。あれがね、それこそ、音もなしに、誰が開けりゃぁ、分からようにして開くとですよ。こっから出て見たら、そこんところに、あのう、洗面所の前に、深く頭を下げておられるとですよ。そして、頭を上げられた時に、はっきりと、その顔色も分かったし、真っ青な顔でしたが、あのう、が、あのう、おばあちゃんに、よく似ている、平顔のね。私、初め、あのう平田さんっちいうて参って来よろうが、宮ノ教会の。平田さんに、よう似た顔じゃったですよ。うん。ところが、あのう、おばあちゃんも、ちょっと平田さんに似たところがあるじゃろうが。平たい顔して。結局、「願うすべ」とか「願う場」が、亡くなって来たのが、体得しておった、覚えておったというだけでも、素晴らしいことなんですよね。うん。私が頂いたのが、三時、三時二十分じゃった。二時三十分じゃったか。亡くなられたとのは、その七時ね。ですから、もう、あの、魂は、先に出ておるんですね。だから、こういう世界は、もう絶対あるとですよ。ですから、そういう世界には、足を踏み入れれるだけの、あの信心ができなきゃあ、あのう、本当は名実共に助けることができないと思うですね。「導きの親になるこそ尊けれ 人も喜ぶ 神も喜ぶ」というようなことなんか、昨日なんかはね、私の方の一番、私の方の、父の、うん、父の姉にあたる人が、一番はじめに御神縁を頂いた。金光様に。そりゃぁ、あのう、和賀心時代には私、あのう、家の婆が一番先におかげを受けたという。だから、伯母と置き換えてあるんでよね。実際は、私の田川の方に行っておる、亡くなりましたけれども、父の姉が、まだ椛目にる時分に、おかげを頂いて、それに、お茶飲み寄られた、あの石橋先生の奥さんの親戚が、その、田主丸の浮羽郡の方におって、お月次祭のたんびに、あのう、ながめ棒担いで、あのう、久留米まで、いうなら、五里の道のりを、毎、月次祭たんびに参りござった。その、ちょうど、田主丸から椛目あたりが一服しよころでした。(? )それで、まぁ、家に寄ってもらって一服してもらって、そんで、もう、日にちもたがわず、時間もたがわず、あのう、いつも、こうしていかれるから、「大体、あんた、どこにおいでよるですか。」っち聞いたのが家の伯母なんです。そんで、「実は、こげなふうで久留米で、私の親戚になるね、あのう、(?いつも通りよる)、仏門に、あのう、金光様っちいう神様が見えて、そりゃぁ大変な、その、御比例がたった。」と言う話しをされる。「そんなら、私もいっぺん連れて参ってください。」っちいうて参ったのがはじめてなんです。そのね、その御霊様を今朝、頂くんですよ。私、ほんに、うかつにしとって、本当に、家の一番の導きのもとの親だから、はぁ、本当に、この御霊様には、(? )、だから、今朝からね、「そのことを拝ませて頂こう」ということになったわけですが。そして、あの、遠賀郡の、あのう、芦屋ね、あのう、日吉先生のところ。芦屋の日吉先生の信心をして頂いたんです。だから、ね、「人が取り次ぎ助けられる」という、「自分が取り次ぎ助けよう」というところに、あのう、我が出るのであってね、また、そんなら、自分に力がなかなら、助けられないことになるだよね。結局、人の助かることのための御用。だから、例えば、そういうような、例えば御用が、あのう、でけれる人は、「真一心の人」。やはり真心の篤い人。神心の強い人でなからなければでけないんです。これが自身が助かっていなくっても、ね。なら、そこに今日の御理解で頂いて、例えば、自分の病弱なのが、芦屋から小倉までですから、約一日がかりですよね。それを月の四回、お月次祭だけ、こう参られる。それで、月次祭だけじゃない。一合づきのお米を貯めて、一升になった時が、十日目とし、十日目なら十日に参られる。その何回目かの、そのお米のお供えの時に、あのう、「日吉つる、真の信心になった」という、御祭伝があったとこう、いうことですね。そして、これからは、「千人の神にならせてやる」とおっしゃった。だから、一番最初に参った時に、桂先生がおっしゃっておられるのは、あのう「人を助けて、我、助かれ」とおっしゃっておられる。そこで、自分の有難い、助かっておらんけれども、有難い話しを人にして回られたんです。そこに、あのう、後者がでけるようになり、そして、連れて参られる人、みんなおかげ頂くことに、自分は助からんけれども、人が助かる。そこで、うんなら、後者がでけた。そこで、うんなら、教会の必要を感じられるようになって修行に出られた。そして、ね、無学の先生だったから、やっぱ、無学のもんが、一念が立つですね。やっぱり、あのう、いろんな、学とか学説というもの、一念が立たんのですよ。理屈が先に出たり、自分の知っておる生半可なものが、真に一押しになるわけですよ。だから神様の世界というのは、もう霊妙不可不思議な、私共で、もう、知ることができない世界でしょう。ですからね、あのう、それが、あの、無学のもんが、それを、スーッと、こう、本当にですね、信じるわけなんです、ね。で、修行に入られた。入られて、桂先生が大事にしておられる、お茶の急須を割られた時にね、それこそ、もう、「どげん怒られるじゃろうか。」と、もう、(? )ちゃるたいの。「生神金光大神様、天地金乃神様」っちいうて、泥で、こげん埋めっしもうて、合わせられたのが、引っ付いて離れん。それが、今もここに残ってある。ね。もう、セメダインのように、泥が付く。そういう一念の立つ方だったわけです、ね。ですから、やっぱ、「人が助かる」っちいうことは、その、今日のお話の中から、その、信心性格というものがね、その、人が助、「千人の神に立ててやろう」と言われるだけのものは、やっぱ、内容としては、持っちゃるですもんね。そして、なら、「自分の身を削ってから」といったような、ところが、今日は佐田さんがね、今日の御理解と寸分違わないお夢を頂いちゃったですね。あのう、(?ひよし)というお名前まで、出てくるんです、お夢ん中に。それは、(?ひよし)先生とは違うんですよ。自分の知った(?ひよし)さんなんです。今日、それ出てくる。それで、今日は、あのう、自分の、うんなら、身を削ってから、その(? )、で、それから、あのう、蚊取り線香をね、一箱、あれが卸して、一万二千円するそうですね。そんで、今日に限って(? )さんがね、寄ってきたとは、もう、お金をあれ、二千円入れんけんっちいうような。だから、お父さんにお供えさせてもらうところが、お父さんに(? )にやって、そして、自分が買おうと言いよった金で、あれはお供えするごとなったわけです。だから身を削られたわけです、ね。今日の、その、ところが、朝、もう、今日の御理解と寸分違わんお夢を頂いておった。はぁ、私は、もう、関心するねぇ。うん。あのう、蚊取り線香の話しをしました。あのう、蚊取り線香のさらをひとついっぺんして危なくないなんかね、用意して使うようにせんと畳み焼いたりせにゃぁいかんごとなるよ。あのう、こう、足が付いたとがあったでしょう。(会話が入る)あれが一番いいね。ありゃぁ、箱ん中、入っておるの。あれは。とにかく、誰でも使うわにゃならんからね。あのう、危なくないようにして使わにゃぁね。
もう、櫻井先生のお話を頂いておるように、その、もう、「左巻きで一生過ごそう。それで、燃え尽きよう。」。もう、これひとつでね、一切が治まり、一切がおかげになるです。私、この頃から頂く時に、あのう、なんじゃったの。先代の名前は。(?ユウアンドチアー)でしたね。を頂いて、それが、あの時は、もう何回も、あのう、もう、頂くとですたい。それが肩を叩かんばかりに言うて、いっちょん、こちらが関心がなかもんだから、それ(? )で言よる感じでしたよ。すると、あら、なんでん、こげん頂きよる、「何事じゃろうか」と思うて。そげな状態で、あれ頂いたです。それで、なら、ははぁ、うんなら、それ、「ひとつで言い切れる信心ちゃぁ、どげな信心じゃろうか。」というのを考えましたですね。「真一心」とか、「親切ひとつ」とか言うわけでしょう。親切ひとつで、なんでん、真心ひとつっていう時にゃぁ、まだこれが、どういうことか難しいことか、もう分からんとです、ね。実際、ね。どこまでが、人が助かるごたある親切。どこまでが、人が助かる真か、ということになってくるです。けれども、うんなら、この、あん、「左巻きで行け」という、「これで、ひとつ燃え尽きようと一心発起でけたら」という頂いた時にです、もう、こんならば誰にでも分かる、ね。そんなら具体的にですね、あのう、だから、「私がバカになっりさえすりゃぁええ。」というもんじゃなくて、燃え尽きにゃぁいけん。火が付いとらにゃきゃぁ、火が付いとらなければ。そりゃあね、もう、そりゃあ、バカになったもんにゃぁ、本当に、あのう、正直者はバカを見るという結果になるかというと、そうじゃぁなくて、それこそ、かえって尊ばれるといこと。その、あくる日、善導寺の原さんが、「もう、今までかつてない、その、みんなから大事にされた。」という話しをされましたが、「もう、本当に、これで行こう。」と思うたらね、かえって大事にされるということなんですね。尊ばれるということです。「バカにされない」っちね。どうも、偉い先生になろうごとあったり、ね、自分の顔を立てたがったり、ね、うん、いろんな、風を切られるきざなところが、チラチラと出てきたりするですね。これでは、やっぱり、「やっぱり、阿倍野あたりが、おかげ頂かれるはず。」と思うたですね。「『もう、これで行こう』と決めた」っちいいしゃる。私の一生は、ね。それが、うんなら、継母が、継子をいじめる時の、そのぐわいをですね、どげんいじめられたっちゃぁ、それが、有難い方へ、有難い方へ頂いていきよる話しを聞いてね、「『もう、これで行こう』と決めた」っち。それが、なら、もう、理屈じゃない。阿倍野の御比例はこれですよ、はっきりいって。そして、自分でも、それがおかげの本当の大元になっておられるのは、気付いておられないかもしれないかもしれないですね。ひょっとすれば。あん時の教報は、とってきたらいいが、あん時の教報は見たですか。あの話しは。あれは、明渡先生が話しちゃっとじゃんもんね。それが、私の阿倍野行きになったです、ね。はい。バカがいいよ、バカんまねしよったら。考えりゃぁ、バカんごたあるばってんのうや。そうばってん、この人は、もういっちょうバカじゃという感じですよね。私んごとぐらいのもんが、行っとるとにですよ、ね。とても大阪から、また泉南までね。あくる日、若先生と二人でさっい、来ちゃあるとじゃき。こげな、私、頭上がらんじゃったの、これは。「今日、私、来て頂いても自分がいない。」ってね。だから、そんなら、電話かけて、「私、朝の何時までおるから、それまでに出てきてください。」っち私なら、そげん言うでしょうね。私に絶対、会いたいなら。そこら辺まで来て泊まちゃるわけですから。ね、いうならば。こらへんに泊まっておらにゃぁ、別にいい、ね。わざわざ、会いに、それで、わざわざ小倉まできちゃるとじゃき、いうなら。私、あそこまで行って、会いに行ったようなもんです。そして、また、それが引っくり返って、「京都の方へ、また、行きます。」。だから、その、私、京都まで行く途中かと思いよったったい、したら反対の方げなもん。京都とは。して、こんなバカな話しがあるもんですかいねぇ、実際いうたら。徹底しちゃるです。なら、自分は、それを、なら、実意丁寧とか、なんとか、いうふうに解釈しちゃるかもしれません。だから、自分がそげなバカっちいうことに気が付いちゃぁなかもしれんです、ね。だから、自分でも、気が付いちゃぁないとかもしれん。けれども、それが何十年間というて、鍛えられて、そげな垢抜けしたものになっとる。もう、あんた、それこそ、親先生の、大先生の、日本一の先生と言われる先生ですよ。月に二千人、毎月、お月参りが。あそこまで、とてもバカになりきらんのう、とても。例えば、私が、なら、熊本なら熊本に、今日、行かなならんけんでん、福山まで行ってから、また、あのね、熊本まで行ったちいうようなことを平気でやってなさる。それで、たった会うのは、こ一時間。四、五十分だったですけれどね。素晴らしい先生です。もう、理屈で、偉そうなお話を聞くとかなんじゃないね。もう、その態度で教えられた。そして、そのまねだけじゃぁ、いかんもんじゃけんのうや。もう、自然にできるとか、ね、(?惜しまず)でけるとか、そうしなければおられないとか、というものでなされるところが尊い。(? )先生が亡くなられる。そして、あのう、あちらの場合なんかは、あのう、いうなら、ある意味最高の教養を身に付けておられるというところが、あのう魅力ですね。師範学校を出られてから、そして、学校の先生をしばらくなさった。泉尾あたりにも、やはり何かあろうと思うんですけれども、分からんです。今の私の信心では。ただ、読んだり、話しを聞いただけじゃぁ分からんね。やっぱ実際、接しなければ、ただ、もう、そりゃもう、玉水の初代なんかっち、大変な人じゃったじゃろうと思うですのや。あれだけの。接するということは、やっぱ素晴らしいことじゃぁあるです。私、甘木、たった二回ぐらいでしたけれども、接しておったということが、今でも、やっぱおかげ頂きますもんね。直接、教えを頂いたわけではないですけれど。この頃、安武先生が来た時に、合楽との出会いということを、非常に有難いものとしてから、いうふうな意味のことを話しよとったが、やっぱ、出会いちゃぁ不思議こっちゃもんね。いつも、あんた、あれが、(? )がおらんなら、合えれるはずが絶対ないですよ。うん。
○○先生:綾部さんと小倉で、あのう、綾部さんと小倉で、いちお、お届けになっておった、あの方。ご主人、八幡大の(?聞き取れない)
初代:時間があったら、しばらくでも、お話を頂かれたら。なら、御神米下げてやったのう。そこは電気付けなくてもよかのう。(?聞き取れない)櫻井先生。はい、どうぞ続けてください。
○○先生:今日あたりの御理解を聞かせて頂いて、あれなんかが、あのう(?聞き取れない )。
初代:それはですね、例えば、うんなら、あのう、いうなら、(? )になるかもしれませんよね。問題は、その、船頭さんが小さいから、その大きくならなければならないということですよね。だから、大きくなることは、どういうことかという。あのう、福岡のね、御信者さん方は、もう、「馬鹿と阿呆で道を開け」という、この信心。この信心に徹しられたらね、もう、何にもいらんです。もう、教祖様のみ教えの総てが、そこん中に入ってしまうです。「おかげは和賀心にあり」という、天地書附すらも、そん中に入ってしまうです。あの「馬鹿と阿呆で道を開く」ということは。これを、今、話しに出ております、いうなら、これは、ある例えば、教会の、今、大変な御比例を頂いておられた教会が、先代が亡くなられ、二代が亡くなられ、三代になっておられるのですけれども、まぁ、月次祭に、もう何人かしかお参りがないというように、まぁ、御比例、地に落ちておるわけです。だから、そこんところのお願いをさせて頂いておりましたらね、その筏がね、筏が、操りながら、こう、ずっと、こう下ってきよる。岩に、あのう、(? )、筏というのは、あのう、その川の一番上の方から流してくるわけでしょ。そこの、岸壁というか、岩に当たらんばかりの中を、船頭さんが、見事に操りながらね、あの筏を、あのう、漕いで降りてくるわけでしょ。それが、二代に継がれ、三代に継がれた時にですね、その船頭さんが、小さくなったわけです。ね、いうならば。ですから、その筏がね、その、よどみに入ったわけなんです。よどみに入ったもんじゃから、もう、それは流れない。ただ、浮いておるだけだということ。私、今、御比例の立たない教会、先代の時には、まぁ、まぁ生き生きと御比例が立っておったというような教会が、教会は、ただ浮いておるだけだとね。信者も、いくらかの信者があって、教会が維持させれておるだけだという、教会の維持のために、信者が利用されておるといったような教会は、沢山ありますよね。そういう場合は、ちょうど、よどみに入っておろところじゃないかっち。そこで、よどみから。こう、つきださなきゃぁいけん、その筏を。それには、あまりにも小さいわけ、船頭さんが、ね。そこで、船頭さんが、先ずは大きくならなけりゃぁならないということなんです。ね。なら、大きゅうなるということは、どういうことかというと、私は、馬鹿と阿呆になる事ほど大きなことはないと思うです。どんな問題だってね、いわゆる、馬鹿と阿呆で受けていくということですから。いうなら、あのう、ちょうど、春吉の先生ね、岡田先生。私が、あの、福岡で修行の時分に、月の5日のあそこに、ずっと、お話に参った時代があったんです。その時分の話しを、ちょうど今度の記念、あのう、御本部の記念式、なんですか、教団設立記念が、時に、あのう、こちら、あのう、壱岐の末永先生で、郷ノ浦の方の、ね。お父様の方の、壱岐の先生の方は、ちょうど、汽車で一緒になられたそうです。一緒になられた時に、たまたま、あのう、私の話しが出ましてね、岡田先生が、私の修行中の時分の話しをなさったんだそうです。それで「なるほど、大坪先生がおかげを頂くはずだ。こういうこともあった。ああいうこともあった。」という話しを、いろいろなさってね、えーお、聞かせて頂いて、「ほんに、そんなこともあったな。」と思ってから、今、懐かしい思いで聞かせて頂いたことなんですけれども。うん、私が、福岡におる時分は、三代の吉木先生のお取次ぎを頂いてから、毎日、あのう、毎日、お参りさせて頂いてね、おかげ頂いたんですけれども。結局、ここでの信心の、頂くというならば、「この馬鹿と阿呆でという、信心を頂く以外にない。」と私は思う。ところが、福岡の方たちは、もう、みんな利口ですね。賢いです。うん。だから、あの賢い方が、「馬鹿になる」というのじゃから、ちょっと骨が折れますけれどね。けれども、やはり、もう、これが、福岡のなんと言っても信条なんです。今、ちょうど、お話しておったところですけれども。先日、私が、うん、もう一週間にもなるか、(? )の御理解を頂いて、あのう、ゼイアンドチアーですかね。あのう、ゼイアンドチアーか、なんかという洗剤があるでしょ。テレビで、よく宣伝してあるね。あれ使われたことあるですか。ないですか。あれは、あのう、あれひとつで、ぬるま湯とか、冷たいとか、熱いとかしなくてもいいんだそうですね。それを頂いて私、「どういうことじゃろうか。」と思うたところがね、あのう、「金光様のご信心にも、『これひとつを体得したら、これひとつを覚えたら、もう何にも覚えることはいらん。』というほどしのみ教えがある。」ということを頂いたんですよ。「こげん時には、こげな信心。こんな時には、あんな信心をせにゃん。」ということではなくて、「もう、これひとつを覚えていけばいい。」と言うのです。それで私は、それを一生懸命、御祈念中に思うてね、「はぁ、真心ひとつで助かる」とか、「親切ひとつで助かる道だ。」と言われておりますけれども、さぁ、その真心ということの難しさ、ね、まぁ、人が、本当に助かるほどしの、親切ということの難しさには、とても、あのう、
※(ここで、テープが切れる。途中から)
初代:私が、「神様、その全部は必要ないけれども、ひとつでおかげの頂ける道とは、どういうことでしょうか。」というて、神様に、あのう、お願いをさせて頂いてましたらね、あのう、渦巻きの蚊取り線香がね、あのう、燃えつきってしまうところを頂くんです。ちょっと、光昭先生、ちょっと、あんた、こっちに、あの方にお話しよんじゃから、ね。だから、あのう、結局、あのう、「渦巻き蚊取り線香で、一生を燃え尽きよう」という、一心発起をしたらね、もう、この中に、教祖様のみ教えの総てが入ってる。天地書附まで、これに入ってる、ね。だから、「私が、私が、馬鹿になっときゃぁよか。」というて、グーグーいうて、堪える。あれはいけない。それにはね、その、いわゆる、燃え尽きる火が付いとらなけりゃぁいけない、ね。信心の熱情というものが、いつもなからなけりゃぁならない。それで、例えば、今まで、腹の立ちよったことも、腹が立たんようになり、興奮しよったことも、ひとつも興奮しないで済むような。ここに、あのう、「馬鹿と阿呆になるけいこを本気でする。」ということがね、おかげを頂いて、それが乗り出したらね、わずらわしいものは、絶対よって来ません。ところが、ノイロウゼなんかっていうものはね、頭が良すぎてから、これを使いすぎてね、もう、それが、いきずまって、どうにもできなくて、眠られなくなるほどしになって、ノイローゼという病気があるんです。だから、これは、「主人に、それを教える」とかじゃなくてね、あなた自身が、ね、もう本気で、「この馬鹿と阿呆でいこう。」という生き方をね、身につけられたらね、もう、最高です。もう、絶対、おかげにならんはずがないです。うん、だからね、もう、一時ばっかしじゃなくて、「一生、ひとつ、これで行こう。」という気にならにゃぁ、一生、燃え続けるということ。「『一生、私は、この馬鹿と阿呆で行こう』という気になろう。」ということ。私がた方に、熱心な信者に、原さんという人がおりますが、この御理解を頂いて、えー、嫁さんとの折り合いが、非常に悪かったんです。ところが、もう本気で、もう、「私が、馬鹿と阿呆の信心をさせて頂いて、どういうことがあっても、もう、金光様、金光様で治めていこう。」という気になったっち。ところが、もう、それこそ、あくる日からね、あの、嫁が大事にしてくれるようになったことからね、もう、馬鹿と阿呆になると、馬鹿、自分だけが馬鹿らしいごたあるけれども、むしろ、みんなから尊ばれたり、大事にされたりするということなんです。うんなら、これは、私の信心でいうと、言葉を変えると、私は、「成り行きを大事にする」という生き方だったんです。もう、どんなことが起きてきてもね、「それを黙って合掌して受けよう。」という、この気持ちになったんです。「もう、それこそ、もう、どんなに、もう、顔に関わるようなことを言われようが、されようが、踏まれようが、蹴られようがね、もう、黙って合掌して受けよう」という、この、一心発起をしたんです。だから、いうならば、今のことでいうなら、「私が、本気で馬鹿と阿呆になると思うた」ということと同じことでしょ。それで、ここでは、もう、成り行きを、非常に大事にいたします。もう、成り行きを尊びます。「いかに、神様が、有難いのう、勿体ないのう」というて、拝みあげておっても、「神様の、御、働きそのものを粗末にしたら、神様を粗末にしておるのと同じことだ。」っていうのが、私の自論なんです、ね。神様は熱心に拝む、(?ゆうゆうしく)お祀りもしておる。けれども、その天地の親神さまの、御、働きをね、粗末にするならば、神様を粗末にするのと同じことだ、と、ね。だから、大坪総一郎、私に下さる神様が、なら、苦いもんであろうが、くさいもんであろうが、私が、それを合掌して受ける気になったら、そん苦いもんのを頂きよったら、胃が、いよいよ強うなった。千振のようなことじゃったわけです、ね。「こげなくさいもんは嫌や」と思いよったのを、「辛抱しながら、頂きよったら、ね、それこそ、にんにくのように、強壮剤になって、私が、このように強くなった」というようなね、もう、「とにかく、合掌して受ける」ということにね、「もう、一生、これで決めた」と、いわゆる、渦巻き線香の、一生、これが、燃え尽きるようにね、燃え尽きることを、一心発起したら、もう、一切がそげんなる。して、困ったという問題が(?起きてしまわです)。うん、なら、合楽では、えー、「合楽の世界を、めいめいの家庭に、中に」というわけなんです。こちら、もう、毎月、壱岐からね、なら、船、あのう、飛行機、海を渡って見えます。こちらは、熊本の日奈久の温泉があるところの、日奈久の先生です。が、こうやって毎月、今日の四日だけには、こうやって見えるですよ。そして、うんなら、めいめいのお広前で、合楽を現しておられるわけです。それを、まぁ、いうならね、まぁだ、(? )できた、小さいお広前ですよ。お二人とも、ね。まだ、五年か六年しかならない、(? )ね。じゃぁ、こうして、合楽に御神縁を頂いて、おかげを頂くようになったら、ね、第一、合楽を現していくもんですから、合楽で一番、あのう、あのう、お供えのめざましいのは、お金のです。第一、お金の不自由のない教会、だんだんなってきたということ。それから、ここでお酒が大変、もう、それこそ、合楽名物っちいうごと、お酒が沢山あがって、あげるわけですね。やっぱ、月、何百本かあがるんです、ね、いうなら。ですから、その、そういう教会、私のところの関係教会なんかの場合はね、みんな、その、お酒が非常に多くなってくる。これは、合楽を、そこで、現しておる印です。だから、もっともっと、うんなら、合楽を、そのまま、うんなら、この人も熊本の先生ですけれども、熊本、うんなら、ね、そこそこの教会で、それを現していけれる。また、そこそこに信者が、そういう合楽を、自分の家庭に現していこう。そんためにはです、今、私、言うように、本気で中心になる人がです、ね、あのう、それこそ、ゼイアンドチアーじゃないけれども、「これ、ひとつを体得すれば」ね、という、「成り行きを大事にする」ということ。それを、最近の御理解で言うと、「渦巻き線香になれ。一生、馬鹿と阿呆で、もう燃え尽きよ。」と覚悟したところからね、わずらわしいものは落ちてくるわけ。蚊取り線香で、蚊が落ちてくるようにね。いわゆる、モヤモヤしたものがなくなってくる。「はぁ、あれが」と思いよったものが、かえって御礼が言いたいようなことになってくるということなんです。
うん、そんで、なら、そういう、あん、まぁ、この頃から、えー、尾道教会から、五十四名ですか、ね。団体参拝をしてみえました。そして、この合楽の信心に触れられて、「こここそが、極楽の世界だろう。」とこういう、ね。私が、まだ、九十からの両親が揃ってます。もう、しかも、あの両親の部屋にまいります、離れの方に、あちらにありますが、「もう、本当に、これが、極楽部屋じゃろう。」っちいうごたある感じですよね。私が、指すってあげたりも、お金をあげたりも、さぁ、(もなか)やら持ていってあるわけじゃぁないですけれどもね、「もう、神様が、こうなんか、下さってある。」という感じ。それから、私共夫婦は、元気で、長男が、あー、夫婦が、(?あげんふうで)、この頃、いうなら、三代目が誕生いたしました。というようにです、ふんなら、私、子供七人おりますが、あー、七人の子供たちが、みんなお道の教師にお取立て頂いて、まぁ、私の手になり、足になりしてくれます。うん、そういう中にです、うんなら、私は、うんなら、子供たちに、「教師にならなきゃならん。」とも、ね、「ああせよ。いかんぞ。こげんせんならんぞ。」と、言ったことがありません。でも、そりゃぁ、目にあまるようなこともありますよ。けれども、あの、結局、黙って治めるというですか、うんなら、馬鹿と阿呆に、(?それをみて)おりますと、いつの間にか、それが、だんだん、成就してくる。でけてくる。そして、思うておる以上にことになってくるようなね、働きが生まれてきておるんです。そして、あのう、合楽ということが、「あー、本当に、神様の願いだ。」ということ。合楽といことは、神も楽になりゃぁ、氏子の楽になる。家内も楽になんなら、私も楽になる。信者も楽になんなら、私も楽になる、というような、合楽、いわゆる、あいよかけの働きがね、本当の合楽ということを、うんなら、仏教的に言うなら、極楽というでしょう。これを、金光教的に言うなら、和賀心の世界というでしょう、ね。いう世界が、合楽に、こうやって顕現された。現されてきた。だから、これを、持って帰って、「自分の家庭で、合楽を現せ」というのがね、あのう、私が、皆さんに申し上げておることなんです。そんためにはね、あのう、真善美のおかげを頂け。真ということは、まこと、ね。だから、真の反対はうそ。だから、うそのない生活をせなにゃぁいかん。善というのは、悪の反対。ですから、「悪があってはならない」と改めていかなきゃぁならない。美ということは、ひとつ麗しい、ね。美の反対は、醜、見苦しいということ。ですから、あのう、どこにも、例えば、うん、ないほどの美が、その心の中にも、家庭の中にも、でけてこなきゃぁいけない。ここに、皆さんが来てから、あのう、部屋、部屋を、あのう、見て回られて、たまがられることはね、様々な美術品が、(? )って言うと、あれですけれどもね、まぁ、いうならばね、「鑑賞でけるようなものがね、置いてある」っち言う。「これは、私の趣味、好みでね、みんな買い集めたか」というと、「これは、二十年の間に、みんな集まってきておるものだ。」とことなんです、ね。例えば、なら、こういう、大テーブルも、うん、これは、人間国宝の(? )氏がね、真心込めて作ったんです。東京から、これを送ってくる時にゃぁ、大、大型トラックで、こう、お箱に入れてから、こう、送ってきましたよ、ね。例えば、その、つい立なんかは、あそこの福岡の杉山鉄工所のおじいさんが亡くなる時に、大変、おかげを頂いて亡くなったんです。遺言に、「この絵を、あのう、表装にしてね、安濃、お供えをしてくれ。」と言うたんです。それで、えー、息子さんが、これを表装してね、あのう、お供え持ってきて、私、たまがったことは、あのう、この方の弟になる方です。杉山君の叔父さんにあたる方が、(? )の絵描きで、これは、あの、なんですか、あのう、東京の何とか展、何とか展があるでしょう。美術展覧会なんか、あれで入勝したんです。それを家宝のようにとってあったものをね、あのう、これを包装して、裏を、ちょっと光昭君、それをちょっと開けてごらん。反対にするだけで。反対にするだけでいい。反対に。これは、もう、十年も前の話しなんですけれどね、あのう、そして、お供えしてきたんですよ。して、その、驚くことはね、私が、もう、いつも、あのう、富士山というのが、私のめあてなんです。それで、「日本一の偉い先生になろう」っち言ったってでけせんからね、もう、「日本一、有難い私になろう。日本一、本当の馬鹿と阿呆にあろう。」。これならば、どんな馬鹿た子でもなれますでしょうもん。「有難くなる。」ということだったら、ね。大臣になろうとか、ね、なんなんになろうとかっちいうのは、(? )私の方からでは、どんこんでけません。けれども、うんなら、私が、「日本一の馬鹿と阿呆になろう。」という、これは、私の理想なんです。(? )、(? )というのが、私が、今年は還暦ですから、ちょうど私、寅年なんです、ね。例えば、それを、こう、居合わせたようにですね、私の理想と私の、その、うん、まぁ、干支と言うですかね。それを、このう(? )、お供えになったんですよ。あのう、額が上がってんのは、今の金光様の、昔、お書きになったものなんですね。あれがね、東京の信者が、東京の、ふるかんだな、で、発見したんです。あん、ほんの古道具屋です。もう、ゴミにまみれてね、しておるのをね、発見して、そして、こう、送ってくれたんです。というようにね、ここには、もう、見回して、もう、本当に、なら、あー、例えば、この(? )でも、一ヶ月ばっかり前にね、あのう、「これに合う、テーブルセンターがないなぁ。」と言いよったら、こえれを持って来てくれましたから、というように、もう、何一つ、こう見回して見ても、うんなら、お湯のみ、このひとつがです、いつも、神様、「私が、自分で買ったというものがない。」ということです、ね。いうならば、「ここでは、必要なものが必要に応じて頂けておる。」ということなんです。春の三月、花の恋、私は十八、あなたは二十歳、死んでも(?命ありますように)、つこうて減らぬ金百両。もう、これは、馬鹿のような、そげな、まぁ、夢のようなことですから、まぁ、ひとつの、まぁ、夢のような言葉として、そういうことを申しまよね。けれども、合楽には、実際に、それを、私が現しておるということですよ、ね。もう、なら、この頃から、あの父が、母が、うん、もう、九十にもなりますからね、それでも、やっぱ毎朝、その、お広前に入らん日が出てきますよ。そして、あのう、うん、髪がね、乱れしもうて、見苦しゅうなりますからね、うん、私が、「おばあちゃんの髪を、こう切ってあげたらどうか。」っち、家内に言ったんですよ。で、家内が、それを、あのう、したら、「この頃からね、それを切ってあげましょう。」っち言うったっち。そしたらね、言うことが、「じっちゃまがね、おる間は、髪は切らん。」と言うた。そこんところを、どげなふうに感じなさる。九十になるおばあさんがね、「髪を切ってやろう」と言うたら、「あのね、じっちゃまが、おんなさる間は、切らんよ。」って言うたて。まぁだ、色気があるですよ、ね。いわゆる、あなた、あのう、あなたは、十八、じゃない。「私は十八、あなたは二十歳」という精神がね、いつも、ずっと続いておるということなんです、ね。それこそ、「春の三月、花の頃」っちいうことは、暑い時には、冷房があり、寒い時には、暖房があり、その周囲には、もう、四季の花が咲き乱れておる。いつの場合でも、ね。私は、思うんですけれども、極楽にね、例えば、汚いところやら、暑いやらないと思われるようにね、ですから、極楽の世界というのが、この世に現れるということが、天地の親神さまの願いなんです、ね。ですから、なら、使うて減らぬ金百両。そりゃぁ、億万の金、持っておる人がありましょう。おりましょうけれども、なら、億万の金を、うんなら、一万、一億円の持って、金を持って、一千万、使うたら、後は、九千万になるでしょう。減っていくです、使うたら。私が、頂いておるのは、使うても、使うても減らんのです。ここに、いうなら、ちょうど、二億ぐらいな、換算するとなるそうです。土地から家から全部すると、ね。そういうようなのが、「誰が、どうしてでけたか。」ということなんです。そん時に、必要なだけ集まったんです、ここの場合は。もう、誰にも、信者に言ったことがないです、私は。そりゃ、「もう、あんた、いくら払わにゃんばの」と言うたことがないです。もう、その時分に、手入れをしておった人がね、ただ、ただ、たまがったことは、「今度だけは、ちっいっと(?ことわる)わけにはいけまえ。」っちいうけれども、そんときになってくると、ピッシャッと集まってくる。これが、使うて減らぬ金百両だと、私は思うんですね。それこそ、「死んでも命があるように」ということ、ね。そういう、有難い、勿体ない心を開いて、お国替えを頂くのですから、その魂は生き続けて、喜びに、歓喜に満ち溢れた世界にいけれるということなんです、ね。先ほども、私、あのう、ここでお取次ぎをさせて頂いておった方が亡くなった。その亡くなる、数時間前にね、さぁ、あのう、私が、寝ておる部屋に、あのう、「御礼やら、これからのお願いに見えた。」という話しをしたことでしたけれども、そういう世界が、絶対にあるです。魂の世界が。じゃから、その魂を清めておかずしてですね、もう、安心して、死んでいけれるはずがないです、ね。じゃから、もう、本気で、魂を清めるということにね、あのう、精進させてもらうということが、なら、「どげんして、魂を清めるか」というと、なら、本気で、うんなら、「馬鹿と阿呆になる」ということになればです、そりゃぁ、馬鹿と阿呆になれんこともあるです、ね。けれどもね、あのう、そういう、ね、辛抱でけんところに、辛抱する時にです、いわゆる、磨かれていくし、ね、、清められていくのですから、もう、確かに馬鹿と阿呆という、いうならば、あのう、蚊取り線香で、「身につけよう」という一心発起を、例えば、したところからね、あのう、わずらわしいものも落ちてこん、極楽世界が、ここから開けてくる。合楽の世界が、お互いの教会に、合楽世界が、お互いの家庭に、ね、広がって行って、なら、合楽で頂いておるようなおかげが、まぁ、ひとつの手本のようなものなんです。うんなら、合楽が、これで済んだとは思うていない。まぁーだ、どれだけ、(? )が、広がっていくか分からない。どうぞ、ひとつ、あのう、うん、福岡の方に、私、参ってくるたんびに言うんです。「もう、あんた方は、もう、馬鹿と阿呆になるね、けいこを本気でする以外にないんだ。」と、ね。そして、今、言うように、「それに、熱をかける」ということ、ね。よう続けておるなら、わずらわしいものは、もう無くなってくるです。私の周辺に。そして、有難いものばっかりが、あのう、頂けてくるようになる、ね。(?)のおかげが頂かれ、ね、いつも若々しい心で、しかも、使うても、使うても減らない、まぁ、いうならば、神様の財産をお預かりすることができるようになり、ね、それこそ、死んでも、命があるようなおかげに?がっていけれるおかげをね、頂かない、ここでの、ご信心は、それを頂くことだ、ね。それで、いろんな難儀というのは、そういうおかげを頂くことのための、いうなら材料なんです。「ただ、それが、直ればよい。」というのじゃないです。今日から、うんなら、お宅のお父さんのことをお願いしますからね。そんなら、あなたが、ほんなこて、今日から、「本気で、いっちょ、馬鹿と阿呆になろう。」という、一心発起をされたら、もう、早速、ご主人の、状態の上にね、おかげを頂いてくるです。今も、さっき、話したんですけれども、あのう、白血病で、「もう、五日しかない」って言われたんです。お医者さんの息子です、ね。それが、あのう、しかし、このう、「ひっかかり」というのは、素晴らしいことですよ。ここに、(? )に、絵を掛けるでしょ。毎年、秋になったら。あれをね、その、お医者さんがね、お供えしたんですよ、あれは。うん。それが、その、おばあちゃんの、その、奥さんの里のお母さんが、信心される。だから、ここの合楽の御造営の時にですね、今したら、三百万っていうでしょう。今、あのう、うん、柳川の(?お花)があるでしょ。あそこのふすまやら、(?じく)の絵描きが書いたんです、あれは。それが、あのう、もう、値を(?つりあげる)、ここは、あんなに薄いですけれどもね、中が、新もんようにしっとっとです。これは、もう、(?古道具屋)が来ても、たまがるとですよ。それで、いつも私が、ここに掛けとくとね、「あのう、こげんとば、ここに掛けとっちゃあいかん。」っちいうぐらいな。ところが、そういうね、係わり合いっちいうが、やっぱ、前からでけとるですよ、前々から。それがどうですか。お神様をお祭りした、その時点からですよ、もう、病室に、お医者さんですから。自分方じゃぁいけんから、なら、兄弟に言う。それで、もう、医者が、「もう、五日で死ぬとじゃから、もう、ようごとさせなさい。」っちいうわけですよ。それで、ばば様が、お祀りをするというたら、病人がうなずくそうです。だから、もう、正面にお祀りしてあったんです。だから、拝むようになったんですよ。酸素吸入がいらなくなった。もう、それが、拝むところから、ね。そして、血が増え始めた。そして、ご飯を食べるごとなった、っち。もう、どげん考えたっちゃぁ、お医者さんがビックリしておるわけです、ね。そういう、例えば、おかげの頂けれる道なんです。お道の信心は。それには、やはり、何かをひとつ、その、一心発起しなきゃぁいけない。今日は、ちょうど今、今の今まで、私は、その、蚊取り線香のお話をしよったところでしたけれどね。それで、「ちょうど、福岡の人が参ってきた。」っちいうから、なら、ちょっと入ってもらって、ね、もう、そりゃあ、実は、あなた方から、(?習いよるほうじゃ)私の方は。(?学年も)上ななのです。ところが、福岡は、それば、逆輸入せんならんほどし、利口になられた、賢こうなられたという感じがしますね。馬鹿と阿呆が少なくなったですね。だから、もう、あなたが、「馬鹿と阿呆の見本ちゃぁ、あげんとじゃろうか。」っちいうごたあるね、ひとつ本気で、あのう、馬鹿と阿呆になるということが、大きくなることです。ええですか、ね。「もう、あの人は、どこまで、ふところが広いやら深いやら分からん。」というのが、馬鹿と阿呆なるということです、ね。平気でおれれるという、(信用)がつくのです。そういう大きな人がです、その、うんなら、いうなら、流れてよどみに入っておるね、その筏を、継いだ時にです、その、筏は、また、もとのように、本流に流れていくわけです、ね。そして、いうならば、本当の所に流れ着いていくわけなんです。そういう御用をね、あなた方はね、せにゃぁいけんです。なんとはなしに、よどみに入っておるような感じです、ね、ね。どうぞ、大きな願いを持たにゃぁいけんです。ただ、主人のことだけじゃぁいかん、ね。教会、もちろんだけのことだけではいかんけれども、ね、もっともっと、広く大きゅう、ひとつ和賀心時代を、いわば、「世界に広げていこう。」というね、ここで、(? )で私が言う、「和賀心時代を創る」というような、ひとつ革命的なね運動を合楽で起こしておる。だから、革命の、その、ひとつの革命、運動員としてね、めいめい、ひとつおかげを頂いてください。先生方は、どうぞ、自分の教会で、その実を上げてください。それには、まず、あなた方が、おかげを受けなけきゃぁいけない。あなたの教会で、合楽の運動を盛り上げてください。いや、合楽が、日奈久の教会にも、合楽が熊本にも、壱岐あたりの果ての島にまで、合楽が、そこに、新に生まれるようなね、あのね、おかげを頂いてください、というわけなんです。どうぞね、一新発起してね、おかげ頂いてください。帰りに、あのう、このおかげの泉を一冊、買っていってください。こりゃぁ、毎月出てますから、あのう、お送りします。それでね、これをね、少なくとも十回は読んでください。みんな読むことは、いらんけん、この、一切れ、一切れでもいいですから、これ、読んだだけでおかげが頂くです。もう、遠隔地の人は、もう、これで、みんなおかげを頂いている。だから、おかげの泉というものが、本当に看板だけではいかん、ね。だから、看板に偽りがないだけの徳が、これには、こもっております。だから、本気で、頂くという気になってすれば、参ってこんでも、これで、おかげ頂くです、ね。ですから、どうぞ、ひとつ、あのう、本気で、あのう、蚊取り線香になる気持ちになってください。しかも、線香になる。「私が、馬鹿になっときゃぁよか。」というのじゃなくてね、火が付いとらなきゃぁならない。煙が上がっておらなきゃぁいけない。そこに、わずらわしいものが、ひとつ、ひとつ、落ちてくる、ね。そして、そこに、「はぁ、これが極楽」という、合楽の世界が開けてくる。そういう、おかげを頂いてもらいたいですね。
この頃、九州のね、あのう、九州じゃない、南九州の、いや、北九州の、あのう、(? )の集いがあったんですよ。小倉で。そん時に、あちらも参ってきておられた。でしょ。こっから、みな、私どん、五人で行きましたもん。それで、あのう綾部さんも一緒に行ったから、綾部さんのお話を聞かれたんです。
今、夏の信行期間で、福岡の教会は、何かなさっておられますか。
○○先生:私は、小倉で、信者で、小倉なんでございます。(聞こえない)
初代:どうでも、ひとつ、あー、なんですかね、最近、お道の信心で、あの、「根性がかけておる。」ということを言われますけれども、「根性、即、一心発起」のことだと私は思うのですよ。「私の一生は、もう、これで行こう。」と、この根性だけでいいとです。他の、つまらん根性ね、捨てなければいけませんね。
○○先生:(聞こえない)
初代:だからね、(?雑音が入り、わからない。) ここの信徒会長が、胃がんで助からんところを、私が、「医者にかからずにね、おかげを頂け。」というて、おかげで助かった。それぐらい、ずっと参ってくるんですよ。もう、熱心に。そして、その信徒会長が、なら、合楽で頂いた信心をね、あのう、非常に、この頃、あのう、なんちいうですか。あのう、(? )ですかね、信心共励会が、非常に熱心になって、最近は、非常に、あそこの教会に御比例が立っておるわけです。これは、甘木関係の教会です。だから、信徒会長自体が、ね、はき教会の発展のために、うんならば、宮ノ教会なんかでも、あちらの信者は、必ず、宮ノ教会の大発展を願うんです。平田さんなんかはね。必ず、それを願う。だから、こういうところがね、どこの手続きとか、あのう、どこの関係とかいったような、私、今も言っておる、全教一心、全教一家して、ということなんかはね、あのう、私、それをね、その実をあげていかなければ嘘ですよ。あんたたちが、なんとか、かんとか言うけどね、(? )きゃね。
(? )教会は、どこにあるのう。
末永勇先生:私も、まだお参りしたことは、ございませんけれども。(? )の方向に、大通りから、もうひとつ裏側の、なんか、そういう、十字路がございますですよね。私も、存じ上げませんけれども。(聞こえない。分からない。)
初代:もう、蚊取り線香にならせて頂く、この火が付いて燃え出したらね、わずらわしいものが落ちて、そして、必要なもん、というものは、人間、幸せの条件のすべてが集まってくるです。ね。だから、それは、私を見てください。合楽教会を見てください。とこういうわけなんですよね。うん。
○○先生:(?分からない。)会話が入る
○○先生:あのう、それが、二、三日前に、あの、なくなったんですよ。(?分からない。)その時に、「蚊取り線香にならないかん。」と思うたらですね、もう、あれが、飛び立つような喜び、もう、なんですか、もう、大変、あのう、ここに頂いてからですね、(?分からない。)
初代:いわゆる、馬鹿と阿呆になるとね、「こげんまで、馬鹿にならんじゃろうか。」というようなね、あのう、血の吐くような苦しいこともあるけれどもね、実際、いうたら、こげん楽なことはないとですばい、ね。そして、そこからはね、わずらわしいものが、うんなら、落ちてくるんだから。
※ここまで、テープが終わる(末尾切れ)